日本が豊かになるために、2025参議院選挙を見て

経済

最近参議院選挙が行われた。結果は自民公明党の獲得議席が低下したらしい。

物価の上昇、給料が上がらない、増税、円安、保険料増加など

昨今は、働いても給料は増えず、物価だけが上がっていくという経済的に苦しい状況が訪れている。

今からこれを紐解いていこうと思う。あくまで私の考えであって、正解や不正解でもない。こういう考えもあるんだなぁと思ってほしい。それではいこう。

現在の詰め込み暗記教育の限界が来たと思う。

今後は国際的にお金を稼げる人(外貨を獲得できる人)を育てる教育

一人一人に合った得意分野を伸ばしていく教育が必要だと思う。

経済に強い人たちの育成

国語算数理科社会英語を勉強する(暗記してテストでいい点数を取る)だけでは、お金は稼げるようにならない。事実、国語算数理科社会で高い点数を取ることと、お金を稼ぐことは別である。どれだけ学校の勉強ができたとしても、「経済」という力がなければお金は稼げないからだ。また学校では「経済」について深く教えてもらえない。実際、経済をよく理解している人が少ない、学習指導要領に経済という科目がない、からだろうか。そしてこの「経済」というものは国語算数理科社会のように常に一定で変化しないものではなく、少しずつ絶えず変化していく。だからこそ経済(時代や世界の情勢)の変化に合わせて、学校教育も変化していくべきだと思う。

実経済に沿った学校教育への改革

一人一人が自分の得意なことや取り組みたいことを見つけることを国主導で学校側も精をあげて手助けして、その人に合った分野をメインに実経済との関連性に合わせながら伸ばしていく。これをみんなが行えば、従来の学校教育の、まんべんなく全科目でいい点数を取れるようになるを目指すのではなく、国語算数理科社会にとどまらない、これまでにない、様々なたくさんの分野で強い人が生まれ、国として大きな力となる。例を挙げると、縄文時代をイメージしてみる。体の大きい/肉体的に強い人はみんなの分の食料を確保しにいく、料理が得意な人はその食料をみんなが食べられるように調理する、家事が得意な人はみんなの家事をする。このように各々が自分の得意なことで協力し合うのだ。自分の得意なことをしているわけだから、ストレスや不満はない。これの現代版として、経済が好きな人は経済の学習、プログラミングが得意な人はプログラミング、といった各々が興味を持つ対象に特化できる環境を作る(受験については各々が不利益を被らないための新しい対応が必要)(興味を持つ対象や取り組む対象で経済的利益や社会的恩恵をもたらせるようにしていく)。料理は苦手だけど食料を確保しに行くことが向いている人に料理をさせたり、料理を作ることが向いている人に食料を確保しにいかせるよりは、合理的だ。つまり、生徒各々の得意不得意を無視して、生徒全員に画一的に国語算数理科社会をさせるのではなく、プログラミングが得意な人にはプログラミング、算数が得意な人には算数、といった一人一人の特性に合わせて、取り組みたい分野、得意な分野に特化して伸ばして、それで経済的利益も獲得していけるように全員で協力し合っていく、という新しい学校教育スタイルである。

今の学校教育に足りないこと

学校教育は勤勉に勉強に取り組み、テストで高い点数を取る人をみんなの模範、優等生と評価する。いい高校、いい大学に行けば、先生や親は褒めてくれる。果たしてこの昔から続く学校教育システムが、昨今の給料は上がらず物価は上がる現代の経済社会において、このやり方が今もなお、そしてこれからもこのままで、有効で最善で正しい判断だと、行動だったと、どれだけ多くの人が言える/感じられるだろうか。

日本人は勤勉である。それはすばらしいことだ。しかし勤勉だけでは生きていけないのが世の中(学校の外、社会)である。なぜなら日本という国は自国だけで全てを自給自足しているわけではなく、多くの国と「お金」を通じて関わりながら動いているからだ。

ここで少し「お金」について考えてみよう。(学校と社会)

今の社会は紙幣や貨幣を使って、それを何かと交換する。世界各国の共通認識に基づいたお金という交換価値を持った道具を使った交換ベースな「交換社会」だ(昔は物物交換の社会だったと思うが、利便性の観点から時間が経っても腐ったり、減ったりしない紙幣や貨幣が使われるようになったのだと思う)。そのため、どれだけ勤勉に学校の勉強をしたり、テストでいい点数を取ったり、いい高校やいい大学に入っても、紙幣や貨幣がなければ食べ物を買うことも、欲しいものを買う(お金という道具を使って交換する)ことができない。つまり、学校と社会は全くの別フィールドなのだ。事実、学校では持っているお金の量で成績が決まるわけではない、テストの点数だ。しかしそれは学校というフィールドの話である。言い換えるならばそれは学校の中でしか通用しない。テストで100点を取ったとして、その答案用紙をお店の店員さんに見せても100円の商品と交換できるわけではない。私たちが暮らすのは学校の外の「社会」であって、「学校」ではない。そこ(社会)ではテストの点数や学業成績ではなく、紙幣や貨幣を交換対象とする。紙幣や貨幣を持つことが「あぁ、豊かな暮らしだなぁ」と実生活の恩恵につながっていく。

つまり、私たちの生活を豊かにしてくれる/大きく関わってくるのは、紙幣や貨幣(お金)なのだ。

これを踏まえて、今の学校教育には足りないことがあると思う。

経済という学習が欠けているのだ。

先ほど述べたように、私たちは「経済」という紙幣や貨幣を交換対象とする仕組み(社会)の中で生きている。

そこでは、学歴の有無等によらず、お金の持つ量が経済的つまり、実生活で多くの恩恵を与える。(幸せかどうかなど感情面は置いておいて生活面は)

そのため経済についてたくさん学習し、行動したり、世界規模な経済の変化や世の中の動きに敏感に柔軟に対応できる人や国は経済的な恩恵を多く受けるだろう。

昨今の世界経済情勢

現在スマートフォンが私たちの生活の一部になるなど、世界情勢はかつてのものづくり一強時代からインターネット時代へと変化している。事実、世界時価総額ランキングを調べれば、上位TOP10のほとんどはIT企業だ。この通り、世界の経済情勢、世界の動き、お金も人もモノも、その多くはインターネット産業に移行している。1950年代と2000年代では確実に経済は変化しているのだ。しかし依然として学校教育は変わっていない。生徒全員が得意不得意に関わらず、また自分の興味関心に関係なく、画一的に国語算数理科社会に取り組む、という学校教育のスタイルは変化していない。基本的には先生が一方向的に話し、生徒はそれを座りながら黙って聞いて、後日テストが行われる。生徒各々の理解や成長よりも授業が展開されることが重視される。果たしてこれで、経済的にも解決能力があり、人を思いやる健やかな人間が何人生まれるだろうか。画一的ではなく、生徒一人一人に合った学習プログラムや各々の進路等に合わせた授業展開がもっと必要だと思う。そして学校を卒業して、今度は社会や世界と関わり合いながら生きていく中で、先生に言われたことをただただこなした場合と、自主的に考えて、行動してきた場合とでは、その後の将来で大きな違いを生む。これからは、経済的な頭と、自分の特技や強みが重要になってくるだろう。

1950年代〜2000年代まではものづくりをすることで高い経済利益を獲得できていたのかもしれない。しかし世界中で、すでにものを持っている人が増えている以上、この先も、同じものを作る、ものづくり一筋で行くにはどこかで必ず経済的限界が来ると思う。ものはみんなが持ってないから、ものを買ってくれて売れて利益になるのであって、みんながものを持って充足してくると、今まで売っていたものは当時よりもだんだん売れなくなる。おそらく今後は、国として何か新しくものづくり以外の分野での取り組みが必要なのだ。その分野とは何か?

これからはインターネット分野で日本が世界に頭角を表す必要があると思う。

日本が豊かになる。またそれを国民が感じるには、国も個人もお金に余裕ができる必要がある。

国が豊かになれば国民も豊かになると考える。

物価が下がり、給料が上がる。こうなればいい。(国民にとって望ましい状態)

国としては日本の経済力を上げる。

そのために外貨獲得と円高にする必要があると思う。(日本にとって望ましい状態)

個人でもお金が多いか少ないかでは、多くある方がいい。

国でも同じことで、日本という国がたくさんのお金を所有していたらいいと思うのだ。それだけ多くのお金があれば、社会や国民のより良い暮らしや生活のためのインフラ整備にお金を投じたり、さらに多くのお金を生むこともできるようになる。

少し考えてみてほしい。

1ドルを手に入れるのに100円払う場合と、1ドルを手に入れるのに150円払う場合では、どちらの方が手元にお金(円)が残るだろうか。

・・・

答えはもちろん前者だ。

1ドルを手に入れるのに100円で済んだ場合、後者の150円必要の場合よりも50円多く残り、その50円を手元に残したり、別のものと交換したりできる。

そのためにも、他国がお金を払ってでも欲しいと言って買ってもらえるような日本の商品やサービス、システム、技術が必要だと思う。そのために学校教育で実践的な経済活動を見たり、体験したり、考えることが重要だと思うのは私だけだろうか。

会社や交通網、国の24時間稼働

「会社や国を24時間稼働」これだけ見ると驚かれると思うが、この続きをしっかり見てほしい。これは結果的なことであって、今までの働く時間を2倍3倍にして、人の負担が2倍3倍に増えるようにする話ではない。むしろその逆で、働く時間は今まで通りだが、快適さを感じる人は増えると思うのだ。今の社会や会社、世の中の多くは日中にだけ稼働して、夜は稼働していない。スーパーも市役所も病院も日中だけの稼働がほとんどだろう。しかし人間には日中に強い人、夜に強い人がいると思う。そのため日中に強い/働きたい人は今まで通り、日中に働いてもらい、夜に強い/働きたい人は夜に働いてもらうのだ。仕事内容は日中でも夜でも同じで時間帯による不利益を被らないようにする。これにより、みんなが自分に合った時間帯で働いているため、高い生産性の発揮と快適さ(働く時間帯による不満やストレスはなくなる)を感じてもらえる。

このように、生徒一人一人の得意なことに特化を伸ばしていき、それを経済的利益にも繋げていくといった新しい学校教育モデルや、刻々と変化する経済に対して、経済解決能力に長けた人の育成と増加、今では当たり前で常識と言われている会社は日中に稼働するものから、日中も夜も稼働するものに変わるような、そんな大きく世の中の当たり前が生まれ変わり変化する日が、近い将来に来るかもしれない。

最後に

世の中、お金が全てではないが、生きていく上でお金は最低限必要だ。

そこで日本という国そして国民が豊かになるには、日本がお金持ちになることが必要だ。実経済に沿った学校教育、経済活動による外貨獲得と円高、これが解決策の一つだと考えついた。

日々変化する実経済情勢を捉えながら、一人一人の興味関心や得意を伸ばす学校教育→多種多様な分野に強く対応できる人の増加→国際的な経済活動→他国が日本をもっと頼る→外貨の獲得→円高になる→日本の経済力が上がる→日本という国がお金持ちになる→物価が落ち着き、給料は増える→豊かさを感じる人が増える

国が豊かになって、国民も豊かになって、適正な物価と十分な給料と得意を活かせる仕事で、人生に満足している。そんな人が増えたらこの国はもっと活気と優しさで溢れ、世界をリードする大国になる日が来るかもしれない。

ありがとう。幸あれ。

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